アメコミとか映画とか音楽とか猫とか単車とか自転車とか革とか銀とかジーンズとかブーツとか今日喰ったものとか。
『アフターアース』まだだっけ。まだか。んで今上映してるのは『オブリビオン』。トム・クルーズか。ふーん。まあ観とくかー。ぐらいのつもりで観たら非常に面白かった。
西暦2077年。60年前に起きた異星人スカヴとの戦争により地球は荒廃し、人類の大半は、土星の衛星であるタイタンへの移住を余儀なくされていた。そんな中、地球にたった二人残った元海兵隊司令官ジャック・ハーパー(トム・クルーズ)とヴィクトリア・オルセン(アンドレア・ライズボロー)は、上空から地上を監視する平凡な日々を送っていた。ある日パトロールの途中で彼は、墜落した宇宙船の残骸から謎の女性ジュリア・ルサコヴァ(オルガ・キュリレンコ)を助け出す。彼女は何故か会った事も無いジャックの名前を口にするものの、その記憶は途切れ途切れのものでしかなかった。そんな時、2人は突然何者かに捕えられ、ジャックは連れて来られた先でマルコム・ビーチ(モーガン・フリーマン)と名乗る男と出会う。自分以外にも地球で生きる者がいた事に驚くジャックに、マルコムは「ある真実」を告げる。そしてこれが、ジャック自身と地球の運命を大きく変えていく事になるのだった。
以下、適当にネタバレるよー。
SF 映画ってのはとりあえず舞台が宇宙だったり未来だったりで未来ガジェットが出てきて最後は正面から銃なり砲なりを撃ちあってバキューン、ドコーンみたいなのが多い印象があってそれはそれで別に良いんだけど本作は意外と SF してたなあと。言ってること伝わらんと思うけど。
思いっきりネタバレちゃうと異星人スカヴなんてものは存在せず、採水プラントへ攻撃を仕掛けているのは生き残っていた地球人類で、タイタンへ移住するための一時的な避難所であるとされる軌道ステーション テットこそが多分外宇宙かどっかから来た全自動文明滅ぼし機であり、主人公ジャックとパートナーのヴィカは 60 年前最初にテットに捕獲された宇宙飛行士のクローンで、汚染地域(という名目だけど本当に汚染されているかも怪しい)で区切られた別の地区にはもう一組のクローンが居たりして、任期が 5 年でそれ以前の記憶は機密保持を理由に消去されているというのも 5 年ごとにクローンを新しいのと交換しているんだろうなあと。断片的な情報からそこら辺を組み立てつつ実際にどういう流れだったんだ? というのがちょっと情報不足で判らんなーと思ってたら丁度良いタイミングでちゃんと丁寧に説明してくれてパズルのピースがぱちっと嵌った感じが楽しかったす。
最後は主人公であるジャック 49 号はテットを道連れに爆死。残されたヒロインのジュリアの元に劇中で現れたもう一組のクローンであるジャック 52 号が現れてそれがなんか再会出来ましためでたしめでたしみたいなノリなんだけどそこは良いのかそれで、ってのが気になった。ジュリアにとってジャック 49 号はジャック・オリジナルのクローンなのだけど記憶は連続してるしテットの尖兵となっていたクローンたちの中で割と人類としてのジャックの要素が強く浮き出ている個体であるぽいので、まあジャック・オリジナルと同じ扱いで良いのかな、ってことで良いと思うのだけど、逆に言えばオリジナル+49 号との短い期間のやりとりこそが終盤時点でのジュリアにとってのジャック・オリジナルであり、じゃあ 52 号はもう他人じゃん、と。
52 号は砂漠で殴られて縛られたあとそのままぱっとフェードアウトしちゃってて、まあどっかで忘れた頃に出て来るんだろう、テットに乗り込むときにジュリア連れて行くみたいなこと言っててでも生きて帰れるとは思っていない旅程に本当にジュリア連れて行く必然性全く無いし実際飛び立ってから冷凍睡眠装置の中が画面に映ってないしあの中に人数合わせのためだけに 52 号が(縛られたまま)入ってるんじゃないかとか思ってたらモーガン・フリーマンだったしじゃあもう出てこないのかな普通に死んじゃったりしてたのを見逃してたかなとか思ってたら最後に「俺だよ俺! 俺俺俺! ジャックだよ!」みたいなドヤ顔で出てきよった。
ヴィカ 52 号はどうなってんのかなー。彼らの監視塔での食料やなんかがテットから輸送されてたとか最初に 5 年ぶんの備蓄を持ち込んでそのまんまとかだったら外にも出られないだろうからそのまま餓死かなあていうかジャック 52 号助けに行けよとか。
60 年間の間常に 5 年ごとに交換していたのだとしたら 12 世代、劇中に登場したのはジャック 49 号と 52 号なので、地上には 4?5 組のジャックとヴィカが常駐しているという計算。というか彼らが 13 世代目であるか 12 世代目で 45 号と 48 号だったら常駐 4 組できっちり算盤が合うのだけど、最初から 5 年のサイクルとか決まってたのかは判らんし同じタイミングで全部一緒に交換してるのかも判らんし事故とかあって早めに交換した組とかあるのかも知れない。そもそも地球全土を 4 組で良いのかも判らんし、だったらいっそのこと 10 組とか 100 組ぐらい居てもおもろいんじゃないか。そしてテットが滅んだあと野生化したクローンたちが徒党を組んで生き残った人類を襲うの。どうよ? 知るか。
それだと 49 とか 52 とかじゃ数字が小さいか。でも別に世代を重ねるごとに数字を増やさなきゃならんわけでもないし、であれば例えばアレだ。1 世代 30 組ずつで、一番最初は 331 号から 360 号までが地上に派遣されていて、次の 5 年は 301 号から 330 号、次は 271 号から 300 号、とカウントダウンしていって劇中は 31 号から 60 号の世代で、最後 1 号から 30 号の任期が完了すると同時に全自動文明滅ぼし機の地球滅ぼし活動が完了するの。どうよ! 計算合ってるかなあ!
なんか半分ぐらい妄想書いてるだけの気もするけど、映画だけでなく小説の SF もよく読む SF ファンなら楽しめるんじゃないかと。或いは SF 映画ファンでも過去の SF 映画のオマージュが随所に散りばめられているそうなので(俺は 2 つか 3 つぐらいしか判らんかったが)そういうひともイケるかも。そうでもないひとにはちょっと評価宜しくない印象。
原作は監督自身によるグラフィックノベル。で、↑これで良いと思うのだけど今在庫切れだし良く判んない。
ふと川上稔の『風水街都?香港』を突発的に読み返すじゃん? したら『奏(騒)楽都市?OSAKA』『閉鎖都市?巴里』と止まらなくなって結局「都市シリーズ」を全部香港上下大阪上下巴里上下新伯林一旧伯林倫敦新伯林二三四五DT上下SF東京の順に読むじゃん? そのままの流れで『終わりのクロニクル』も読むじゃん? ここまで来たら一の上下だけ読んでそのあと二上下三上中下と一応買いはしたものの何かもう良いかーていうか都市新作書かねーかなーと積んでた『境界線上のホライゾン』も読むじゃん? それと並行してアニメの DVD も一通り借り来て、っつーか今の所 2 期の 3 巻 4 巻が借りられてないのだけど、観るじゃん? 楽しい! ?('ω'? )三?('ω')?三( ?'ω')?
というわけで『境ライゾン』。積んでたけど読んだら読んだでやっぱ面白いんだよなあくっそ。積んでた間に四上中下五上下六上下と 7 冊と出てて今から買うのもしんどいけど積んでた二上下三上中下を買ってなければ 7 冊が 12 冊になってたわけでもう心が折れてたと思うのでまあ少しでも買ってて良かったかな。1 冊 1,000 円前後するので四と五ぐらいはブックオフで買えると良いなあ。
アニメ版は概ね原作通り忠実に映像化されてる。メディアの違い故に表現しきれてない要素ってのはあるのだけど設定自体が変更されてる部分てのは未成年のキャラクターの喫煙だとか本当に最低限。尺の都合で省略されてる要素はあるけど表現が省略されてるだけで設定や要素自体が無いものとされてるわけではない、と思う。蜻蛉切りが賢姉様に効かない理由はそこちゃんと詳しく説明しないと駄目だろとか思ったけど。
原作読まずにアニメから観たひとに話の流れとかキャラクターの行動の意図とかちゃんと全部正しく伝わるのかな、と気になってしまう。でも、別にちゃんと全部正しく伝わらなくても構わんのかな、という気も最近してる。それなりにキャラクターとか動いて戦ってるなーとかギャグ吐いてるなーとか細けぇことは良く判んねぇけど盛り上がってるなーってのが伝われば、あとは詳しく知りたい人間は原作読むなり今の御時世ネットでなんぼでも調べられるしそれで良いのかなと。原作付きを別のメディアに翻案する際、そのメディアのみで完結させて表現し切れない部分を変更するよりも多少説明不足になろうとも省略しちゃってどうしても詳しく知りたいのなら原作を読め、と(明言しちゃ駄目だけど)。
ザック・スナイダー監督の映画版『ウォッチメン』はかなり原作に忠実に映像化しつつ尺の都合もあってか色々ばっさり削っててそれは良いのだけど最後の結末の決定的な核心部分が変更されてて、それが未だにいろいろ言われてる。80 年代のコミックの表現を現代の映画でそのままやるのはどうよって声もあるけどそこはまあやったらやったでどうにかしたと思うよザック・スナイダーは。イカ出そうが出すまいがどうせ響かない層に変な映画呼ばわりされるのは変わらんと思うし。今からでも多少取ってつけたようになろうともフル CG でイカだけ作って追加して結末変更したバージョンとか作っても良いんじゃないかしら。ルーカスみたいに。ルーカスみたいに!
あと『境ライゾン』は「きょらいぞん」と読みます。